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指示命令は、外的コントロールになるのか

ここでの問題意識は、「自分が期待する行動を、相手にとってもらえるよう、相手に対し、影響力のある言動として、指示命令を行うこと」が外的コントロールの行為になると考えるか、考えないのか」、「部下をよい社員に変えるために、教育したりしつけたりすることは、外的コントロールになるのか」というようなことである。

 

さらには、「部下が行動しないことを選択した場合に、会社のルールとして、当然の結果を受けさせる場合には、外的コントロールの行為となるのか否か」というような疑問がある。

 

選択理論では、良いマネジメント(リードマネジメント)と悪いマネジメント(ボスマネジメント)の二元論で説明している為、はたして、これらの中間に位置するような、指示や命令、教育や指導が、外的コントロール心理学に基づくものとして、これらを否定しなければならないのかという疑問を生じる。

 

実際に多くの職場で、多くのマネージャーが行っているのは、「リードマネジメント」と「ボスマネジメント」の中間にあるようなものが多いと思われる。

 

つまり、「きっちりとした指示命令」と「風通しの良い職場づくり、職場の人間関係の構築」の両方が行われている、ということである。

 

選択理論・RTを知っている人は、まだまだ少なく、そのような人の中では、「私の行動は私がコントロールしている」と「私は相手の行動をコントロールすることができる」という、両方の意識を持っている人が多いと思われる。

 

相手に対しては、相手は変えられると考えて外的コントロールをするのに、「自分のことについては自分で決定している、という内的コントロールの考え方をする人が多い、ということだ。

 

簡単に言うと、「自分の行動は自分で選択しているという人でも、相手に対しては外的コントロールを使うという人が多い」ということである。

 

力の欲求の強い人は、自分が所有意識を持ちやすい身近な人に対して、外的コントロールを行使しがちであるので、身近な人との人間関係を悪化させやすい可能性がある。

 

しかし、そのような人も、選択理論で、「外的コントロール」を概念を学ばない限り、「自分が相手を変えようと外的コントロールをしている」というような考え方は持たないだろう。

 

また、「私は人をコントロールすることができる」ということの意味を、「私が強制すれば、相手は行動を変える」という意味か、「私が行動を変えれば、相手が、私の期待する行動をとってくれる可能性がある」か、のいずれであるかをはっきりと分けて考えている人は少ないと思う。

 

一方、相手の言動に影響されてある行動をとった人も、「相手に強く迫られて、相手に行動をさせられたのか、あるいは、相手に強く迫られたから、仕方なく、自ら行動する選択をしたのか、」については、はっきりしていない場合も多いのではないだろうか。

 

つきつめられれば、外的に強制されたという意識と、内的に動機付けられて自ら行動を選択したという意識とが交じり合っているのではないだろうか。

 

以上のように、受け手が、「伝え手に操作されて、行動したのか」、または「伝え手の情報を受けて、自ら内的に動機付けられて行動したのか」、これらのいずれなのかは、伝え手にもわからないし、受け手も意識しないのではないか。

 

「外的コントロール」という言葉を使うか、「影響力のある言動」という言葉を使うかはともかく、一般に、人をマネジメントする場合には、自分が期待する行動を、相手にとってもらうことが必要である。

 

リードマネジメントにおいても、上司も部下も、自分の欲求充足を求めて、お互いが影響力を行使しあい、相手を説得しあい、交渉しあうということが起こってくる。

 

お互いに、強い外的コントロールは使わずに、相応の影響力を行使したうえで、意見が食い違う場合には、交渉や調整にゆだねる。

 

部下に対する指示命令については、これらをきっちり行う一方で、「関係を近づける行為」を行うようにし、「関係を遠ざける行為」をしないようにする、相手の選択権を尊重する、などが伴えば、指示・命令が人間関係を壊す有害な外的コントロールにはならないであろう。

 

さらに、相手の意見や考えにも聴く耳を持つ、説明や情報提供をきっちり行っていく、協力を頼みとする、より上質を目指して、協働して改善を図っていく、仮に、部下のとった行動がうまくいかなかった場合でも、部下に責任をすべてかぶせるのではなく、マネージャーが自分に責任がある部分についてはきっちりと認める、という姿勢を示す、

 

また、強い外的コントロールの行為をした場合には、すぐに、行き過ぎについて謝罪する、追加的な説明などをすることによりフォローする、などの行動が伴えば、人間関係や信頼関係の悪化につながらない。

 

ところで、マネジメントされる部下(従業員)の側から見た場合、部下の方に主体性と自己責任の意識がそなわっていれば、上司が強い外的コントロールの行動をとっても、それを単なる情報であると受け止め、その情報の取捨選択を自分で主体的に行うであろう。

 

一方で、人間関係、信頼関係の形成されていない相手に対して指示や命令を行う場合は、相手によっては、強い外的コントロールをされていると受け取り、欲求を阻害され、相手との距離を遠ざけたいと思う可能性がある。

 

以上のように、相手に指示し、命令する、という行動は、自分と相手との間に、人間関係、信頼関係ができており、相手の側が、「指示や命令を受けて行動することが、自分の役割である」ととらえている場合には、相手との人間関係や信頼関係を壊すことはないように思われる。